JJCF教会について:信仰基準

私たちはジャカルタの地で、毎週日曜日に礼拝を行っています。

私たちの信仰は、聖書を基としたプロテスタント信仰です。

以下は「聖書」「神」「救い」に対する私たちの信仰の基準を示しています。

​聖書

旧約・新約聖書は、すべて原典において神の霊感を受けて書かれた誤りのない神のみことばである。聖書は、イエス・キリストを証しし、救い主イエスの福音の真理を啓示するものである。

 また、聖書はいついかなる時代においても、クリスチャンの信仰及び生活の完全で唯一絶対の規範である。ゆえに、教会は、神のみことばを正しく学び、それに従順であるべきである。

新約聖書:テモテへの第2の手紙3章16-17節

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 

新約聖書:ペテロの第2の手紙1章20-21節

それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

神​

 神は、聖書によってご自身を啓示された天地の創造主なる神である。また、父、御子、御霊は、三位一体の神であり、その本質において同一である。

 父なる神は、天地万物を創造され、主権をもってこれを支配しておられる。

 御子イエスは、神でありながら、罪に堕落した人類の救いのために、聖霊にて宿り、処女マリヤを通して生まれて人となられた。人となられたイエス・キリストは、我々の罪の代価として十字架にかかり、ご自身を完全な犠牲として父なる神にささげて、贖いを成し遂げてくださった。キリストは確かに死なれ、墓に葬られたが、聖書が示すとおりに三日目に復活された。復活されたキリストは天に昇り、父なる神の右に座し、真の大祭司として、私たちのためにとりなしをしておられる。また、神の定めた時に、栄光のうちに再臨されるキリストは、信じる者のために聖霊を与えてくださった。

 聖霊は、助け主であり、信者がキリストの律法に従い生き、キリストの証人となることができるように、知恵と力と賜物を与えてくださる。

新約聖書:マタイによる福音書28章19-20節

 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 

新約聖書:ヨハネによる福音書15章26節

 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

 

新約聖書:ピリピ人への手紙2章6-8節

 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

 

新約聖書:ペテロの第1の手紙2章24節

 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

救い

 私たち人間は、神のかたちに似せて造られたが、罪に堕ち、神に背くものとなった。しかし、神は罪に堕落した人類をなおも愛してくださり、御子イエス・キリストによる救いを備えられた。

この罪人に対する神の愛と恵みが福音であり、その福音とは、キリストの十字架、埋葬、復活である。自らの罪を認め、この福音の三要素を信じる者は、義と認められ、罪が赦され、永遠のいのちを得る。人はこの神が備えてくださったキリストの贖いを信じることによってのみ救われるのであり、行いやその他の一切の方法によるものではない。

 キリストを信じる者は、永遠の救いの相続人として聖霊による証印が与えられる。しかし、キリストを信じない者は、永遠の滅びに定められる。

旧約聖書:創世記3:8-20

 そよ風の吹くころ、彼らはそのを歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたはどこにいるのか。」彼は答えた。「私は園であなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、たべてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

人は言った。「あなたがそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたはいったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

 神である主は蛇に仰せられた。「おまえがこんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫の間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。

 

新約聖書:ヨハネによる福音書1章12-13節

 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 

新約聖書:ヨハネ3章15-18節

 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世に愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

新約聖書:ローマ人への手紙3章19-24節

 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 

新約聖書:コリント人への第2の手紙1章21-22節

 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

 

新約聖書:エペソ人への手紙2章1 -9節

 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らに中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべきこらでした。

 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです―キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所に座らせてくださいました。

 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

 

©聖書 新改訳 2003年 第3版 新日本聖書刊行会